当神社の創祀は明らかではないが、『北海道縁起物語』によると、平安朝には前身となる妙見菩薩の祠があったという。
天明6年(1786)
幌別郡(現・登別市)が松前藩士細田儀右衛門の給地に指定されたのを契機に、妙見菩薩の祠を再建し、胆振地方の鎮守社とするため保食神を合祀し、妙見稲荷社と称した。
明治3年(1870)
白石藩城主片倉小十郎邦憲が家臣百五十余名を従え胆振国幌別郡へ移住し、片倉氏の総守護神刈田嶺神社(延喜式内社、陸奥国刈田郡総鎮守、別名・白鳥大明神)の御祭神である日本武尊の御分霊を奉じて合祀し、幌別郡開拓の守護神とする。
明治4年(1871)
御社殿を幌別村字浜七十番地(現・幌別町一丁目)に新しく建立し、社名を刈田神社と改称し、これより幌別郡の開拓者の心の支えとして御鎮座する。
明治6年(1873)
四国からの開拓者が金比羅宮(式内社、旧国幣中社)の御分霊を奉じて合祀する。
明治8年(1875)
幌別郡の郷社と公称する。
大正15年(1926)
現在の境内地(中央町六丁目)へ御遷座する。
終戦後、神社本庁包括宗教法人となる。
令和3年には、社名を刈田神社に改称してから150周年を迎える
刈田神社は、五穀豊穣、食物の神である保食神を奉斎していることから、農業、衣食住守護、産業繁栄、商売繁昌に、また大物主神を奉斎した琴平山が航海の目印であったことから航海安全に、また大物主神が大国主命の和魂(にぎみたま)とされていることから、縁結び、子宝、病気平癒、技芸向上に、さらに武勇と知勇に優れ、国土を平定した英雄であった日本武尊を奉斎していることから、国土安穏、必勝、合格、仕事成就、厄難消除、交通安全にも御利益があるとされている。
三貴子神社
天照皇大御神
あまてらすすめらおおみかみ
須佐之男命
すさのおのみこと
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大山祇神社
天之御中主大神
あめのみなかぬしのおおかみ
大山祇大神
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